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チャイコフスキーを聴く

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チャイコフスキーの交響曲第5番を聴いている。先週に引き続き2度目だ。思えば震災後、体の受け付ける音楽が極端に限定されている。日頃、全方位型の聴き方をしているので、一時的ではあるにしてもその嗜好の変異から、気持ちの底に沈殿しているものの厚さを改めて知った。

先週もそんな気分で、CDの収まった棚や引き出しを眺めていた。震災以来、静かなピアノ曲ばかり聴いていた。そうだ、オーケストラ作品を聴こう。そう思ったのだが、なかなか手が伸びない。こんな時、悲しい気持ちだからといって、バーバーの「アダージョ」やチャイコの「悲愴」なんて聴けないし、かといっていきなりお祭り騒ぎのような曲も難しい。しばらく迷って手にしたのがチャイコフスキー交響曲第5番だった。でも、結果的にいえば、聴きながら、ちょっとそぐわない感じがした。「まだ、そんな気分じゃない...」

そして今日、もう一度聴こうと思った。1888年に作曲され、チャイコフスキー自身の手により同年初演されたこの曲は、当時のメモに「運命」や「人生」という言葉が頻繁に出てくることから、彼がそういったことを念頭に作曲したものだろう、と言われている。

チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 /  カラヤン指揮・ウィーンPO
チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 / カラヤン指揮・ウィーンPO


僕は学生オケ、市民オケ等、十数年オーケストラで演奏したが、この曲はエキストラ出演も含め3度本番を経験している。交響曲のフル演奏では最多だ。それくらいアマチュアオケには人気があるのだが、その理由は、親しみやすいメロディーが続々と出てくることと構成のわかりやすさにあるのだろう。それゆえに極端に嫌う人がいることも、また事実だが。(僕は好きです。)

人気のもうひとつの理由に、特にアマチュアオケにとって、様になりやすく、終わった後の充実感が得られやすい、ということもあるのだと思う。暗から明へ。苦悩から勝利へ。暗く重いクラリネットの旋律(運命の動機と呼ばれる)で始まる第1楽章は、夢のようなメロディーを持つ第2楽章を挟んで徐々に高揚。第4楽章の勝利の凱歌で喜びをもって終わる。チェロを弾く僕にとっては第2楽章のメロディーは何度弾いても感動するし、第四楽章のコーダは何度弾いても興奮してしまう。(要するに単純なのです...)

今でもその音楽の美しさにおいて人気が衰えることはない天才チャイコフスキーの真骨頂ともいえるこの楽曲だが、最初は彼自身あまり好きでなかったらしい。思うに天才には、誰が何と言おうと自分の生み出したものに絶対的な自信を持つタイプと、天才がゆえに自分の理解の外にいる一般他者の評価を極端に気にするタイプの2パターンあり、チャイコフスキーは明らかに後者だったようだ。

初演から観客の反応はよかったものの、批評家の評価はもうひとつだったらしく、チャイコフスキー本人も傷つき、「作為的だった」と反省する始末。チャイコ先生。それじゃあいかんぜよ。

しかし彼は立ち直り、以後この交響曲に自信を持ち始めたという。恐らく、演奏会のたびに熱狂する観客の反応を見て、「そうか、やっぱりこの曲はええ曲やったんやね。前言撤回!」と、つぶやいたに違いない。チャイコフスキーはちょっと小心者で人間くさいのだ。

震災から2週間が経過し、いろいろ新たな課題が噴出してはいるが、被災地は復興のフェーズに移りつつある。そうした中で聴いたこの曲を、今日は素直に受け入れられた。どうしようもなく悲しい現実は、振り返ればまだほんのそこに見えるが、この曲の変遷のように、最後は喜び合える、そんな日が一日でも早く訪れることを祈りたい。

大丈夫。日本人のDNAには、それを乗り越えられる強さが刻まれているはずなのだから。

   *** チャイコフスキー交響曲第5番は、僕の愛聴盤、
      カラヤン指揮、ウィーン・フィル盤でぜひどうぞ



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