Jerrio's Cafe

店主Jerrioのよもやま話と音楽の世界にようこそ...

The Rose

Posted by Jerrio on   4 comments   0 trackback

先日、NHKの音楽番組『SONGS』が「平井堅オールタイムリクエストベスト」ということだったので、久々に録画して見た。平井堅といえば、最近は様々なタイアップ曲をちょこっと耳にするくらいだけど、少し前にはアルバムも購入して結構聴いていたんだっけ、なんて思いながら。でも、その「少し前」が実は十数年前だったことにハタと気づき、愕然として思考停止。我に返って気を取り直し、数枚あった当時のアルバムを引っ張り出してみたんだけど・・・

確かにリクエスト上位の、当時のベタなヒット曲の入ったオリジナルアルバムもいいのだが、その中で最もよく聴いた大好きな一枚は、2003年に発売されたカバーアルバム『Ken’s Bar』だった。僕はおそらくこの一枚で、この人の音楽に対する真摯な姿勢やセンスの良さを実感し、共感したのだ。

B0000DJW3G
Ken's Bar / 平井堅

このアルバムは、最近やたらに流行っているカバーアルバムブームの先駆けと言えるかもしれない。ただ単なるカバーではなく、全く売れていない時代から自ら定期的に行っていたカバー曲中心のアコースティックライブを再現したような作りになっているのがミソだ(あくまでスタジオ録音ですが)。会場に向かう足音や2部構成の合間に入るドリンクタイムの喧騒などの効果音もさることながら、そのピアノやギターを中心としたライブな音作りは、親密で落ち着いた雰囲気を演出する。確かに静かにグラスを傾けたい気分になる。

このアルバムの贅沢さを書けばきりがない。キャロル・キングの「You’ve Got a Friend」をポール・ジャクソン・ジュニアのアコースティックギターに合わせてデュエットするのはレイラ・ハサウェイ。レイラの父、ダニー・ハサウェイはこの曲をロバータ・フラックとともに歌い大ヒットさせた。まだ世に出て間もないノラ・ジョーンズの「Don’t Know Why」は、作者であるジェシー・ハリス自身のアコースティックギター伴奏によるNY録音だし、平井堅が幼少期の思い出とともに大切にしてきた曲「大きな古時計」は、矢野顕子の自由闊達なピアノ伴奏にのせる、などなど、それぞれの曲でのワンポイントが、まあとんでもないのだ。おまけに最後に、その年の紅白歌合戦でも話題になった坂本九とのバーチャルデュエットによる「見上げてごらん夜の星を」を配する。そりゃあ売れないわけがない。

その中で僕にとって圧巻だったのは、当時若干20歳のジャズ系のシンガーソングライター、ピーター・シンコッティのピアノによるオープニングのインストゥルメンタル「even if」(これは平井堅の作で、前述の『SONGS』でのリクエストNO.1でした)に始まり、それにつながるピアニスト塩谷哲(しおのやさとる)のピアノ伴奏によるベット・ミドラーの「The Rose」、長年バックを務めてきた鈴木大のピアノ伴奏による桑田佳祐の「One Day」へと続く、ピアノサウンドが美しい冒頭3曲である。

特に「The Rose」をこのアルバムで最初に聴いた時は、思わずハッとさせられて、しっかり聞き入ってしまった。塩谷哲の澄み切ったピアノサウンドと抜群のアレンジ、それに絡んでくる平井堅の高音域の声の情感は、一気にそこから二十数年前の記憶を呼び起こさせてくれたのだ。今でこそこの曲は多くの日本人ミュージシャンにもカバーされ、2年前にはベット・ミドラーのオリジナル版がテレビドラマの主題曲にもなったりして、頻繁に耳にしている気がする。しかし当時そういう感覚を持ったのは、まだあまりカバーされていなかったことと、男性が歌うことの意外性、そしてその演奏からストレートに感じた救われるような清新さが、過去の記憶と呼応してよみがえったからだと思う。


rose.jpg

「The Rose」は1979年に公開された同名のアメリカ映画の主題歌である。一般的には、60年代を代表する夭折のロックシンガー、ジャニス・ジョプリンをモデルにした映画のように思われているかもしれないが、少しニュアンスが違う。元々は、ジャニス・ジョプリンの伝記映画を製作しようと企画されたのだが、最後まで遺族の許可が得られなかったという。そういう中で、当時すでにブロードウェイで歌唱力、演技力共に認められ大人気だったベット・ミドラーが主演に決定したことで、急遽彼女のイメージに合わせて60年代のロック・シンガーの総体として架空の歌手ローズを仕立て上げ、それに合わせてオリジナル・ストーリーに書き換えたらしい。

僕はこの映画を、大学の4年間に3回映画館で観た。最初に観たのは恐らく1980年の年末。入学した年だが、福岡・天神にある名画専門の「センターシネマ」で一人300円で観られたのだ。その年の春先に主題歌の「The Rose」が、ビルボードのヒットチャートを賑わしたことを知っていたので、そういうヒット作が一年遅れで安く観られたことを喜んだ記憶がある。3回とも同じ映画館だったが、飽きもせず上映のたびに足を運んだし、恒例の「2度観」をしたこともあったと思うので、延べにすれば4,5回は観たことになる。もちろんパンフレットも買った。

にもかかわらず、ストーリーの詳細部分をほとんど覚えてないのはどういうことだろう。もちろん自らの弱さや脆さを隠すために、酒や麻薬の力も借りながらステージに上がり観客を熱狂させる姿は印象的だったし、その激情ゆえに愛に溺れ、傷ついていく流れだったことは覚えているのだが、その話の内容に共感した記憶もあまりないし、そこに60年代のアメリカを見た、などという社会的な問題意識を持ったわけでもない。それでも何度も足を運んだ理由は、ただシンプルにそのステージシーンの素晴らしさと、そこに生き、そこに散ったローズの生を、何度も追いかけたかったからだろう。

ひとつだけはっきり覚えているのは、恐らく感動的に流れるのだろうと思っていた「The Rose」の主題曲が、最後の場面からエンドロールにかけて流れる際、シングル発売されたものよりもテンポが速くさらっとしていて、その映像からも決して感動的に終わろうとしたわけじゃないんだな、と思ったことだ。シンプルな曲にシンプルな歌詞。それはローズの寓意に満ちた人生を淡々と歌っているように聞こえたのだ。

  Link:  The Rose / Bette Midler

B000002J5A
The Rose: The Original Soundtrack Recording / Bette Midler


このロックンロールを主体とした映画にあって、ぽつんと咲いた一つの花のような主題歌「The Rose」は、当時アルバムも出していなかった無名のシンガーソングライター、アマンダ・マクブルームの楽曲である。この映画の音楽監督であるポール・ロスチャイルドはこの曲をプロデュース陣に主題歌として推薦したが、「退屈で讃美歌のよう。ロックンロールではない。」と却下された。それでもあきらめきれなかったロスチャイルドは直接ベット・ミドラーのところに持ち込み、結局彼女がこの曲を気に入ったため最終的に採用されたらしい。

いずれにしてもこの静かな主題歌は思いがけず大ヒットした。ビルボードのヒットチャートを3位まで駆け上がり、ベット・ミドラーはこの歌唱によりグラミー賞の最優秀女性ポップボーカル賞を受賞した。音楽監督の狙いが的中した、ということだろう。ちなみにポール・ロスチャイルドはジャニス・ジョプリンの「パール」など数々の名盤をプロデュースした人物であり、その背景からも、この曲にこだわったことは非常に感慨深い。

一方、「The Rose」の作者、アマンダ・マクブルームは、この楽曲によりゴールデングローブ賞の主題歌賞を受賞し世に出た。日本ではほとんど知られていないが、その後も地道に歌手、ソングライター、女優として活躍していると聞く。今年70歳になる彼女にとっても、この曲は転機となるものだったのだろう。既にスタンダード・ナンバーとも言えるこの曲を、今も大切に歌い続けているらしい。

  Link:  The Rose / Amanda McBroom

B00001O32I
Portraits / Amanda Mcbroom



<おまけ>

 映画「The Rose」の予告編です。海外版ですがぜひ。
  Link:  「The Rose」Trailer

 The Roseは、何といっても歌詞が素晴らしいです。日英対訳でぜひ。
  Link:  The Rose / Bette Midler(字幕:日本語/英語対訳)



 ★ アルバム写真は、Amazonサイトにリンクしています


にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ

スポンサーサイト

ゆく夏を惜しめない

Posted by Jerrio on   2 comments   0 trackback

ゆく夏を惜しむ。そんな表現が妙に懐かしい。今や、ゆく夏を喜んで見送ることはあっても、惜しむことなど、ほとんどなくなってしまった。夏によく行った海にも、今は全く行かなくなった。この夏帰った四国でも、一度も海に近寄らなかった。唯一海の表情を垣間見たのは、大阪に戻る途中、瀬戸大橋にあるサービスエリアからだった。そんな海を見ても、心躍ることは無い。大好きだった夏のさわやかさや鮮やかさの記憶は、最近の不快なほどの夏の表情に、かき消されてしまったのだろうか。

20170910-1

若い頃は、お盆も過ぎて9月の足音が聞こえはじめると、それまで遠くに見えていた「ゆく夏」の背中が、急に近くに迫ったような気がして、少し寂しく感じたものだ。


B002LFIZDG
Declaration of Dependence(2009) / Kings Of Convenience

泳ぎ疲れて、そろそろ引き上げようかと上がった後の冷えた体。背中に当たる日差しに、もう真夏の鋭さはない。かすめる汐風にも、心なしか初秋の気配を感じたりする。肌寒さを感じる前にシャツを引っ掛け、もう夏も終わるんだなと実感しながら、海の向こうにかすむ島々を見つめる。ゆったりとした時間が流れる中で、友人のつま弾くギターの音が心地よく響く...

キングス・オブ・コンビニエンスの2009年のアルバム 『Declaration of Dependence』のジャケットは、そういうシチュエーションを想わせる。もちろんバックに流れ始めるのは、アルバムの冒頭を飾る「24-25」だ。

   Link: 24-25 / Kings Of Convenience

キングス・オブ・コンビニエンスはノルウェー出身のアーランド・オイエ(Erlend Øye)とアイリック・ボー(Eirik Glambek Bøe)によるデュオグループで、二人の奏でるアコースティック・ギターのフレーズと力の抜けたコーラスの気持ちよさに、僕は一時つかまってしまった。静かに浸透する麻薬のような音楽は、ずっと聴き続けていたいという衝動を連れてくる。

その気持ちよさの背景にはっきりあるのは、フレーズの反復性だ。冒頭から提示される2小節や4小節のギターを中心とした伴奏フレーズが、少しずつ形を変えながら繰り返される。そこにサイモン&ガーファンクルを彷彿とさせるコーラスが乗ったり、ビオラやピアノなど、ちょっとしたアコースティック楽器が花を添えたりする。

  Link:  Me in You / Kings Of Convenience

一定の振幅を決して逸脱しないミニマルな音の流れにのせられた、囁くような歌声が醸し出す繊細な感覚は、ボサノヴァに通じるところもある。もちろんノルウェー出身のグループということで、北欧特有の抜けた感覚も持ちながら、ノルウェー語ではなく全編英語で歌われるその音楽の反復性には、ダンスミュージックやエレクトロニカに通じるような今風の音楽的ベースも感じるのだ。

  Link:  Boat Behind / Kings Of Convenience


その音楽から様々な感慨を受け取って、たった一枚でファンになってしまった僕だが、そこからさかのぼり、2004年のアルバム 『Riot on An Empty Street』 、2001年のアルバム 『Quiet is the New Loud』 も入手し、繰り返し聴いた。そして、その内容は決して期待を裏切らなかった。

B00026W82U
Riot on an Empty Street(2004) / Kings Of Convenience

B000056MYN
Quiet Is the New Loud(2001) / Kings Of Convenience


完全な形のオリジナル・フルアルバムはこの3枚だけだが、もうずいぶん新作が出ていない。解散したという話も聞かないが、この二人はそれぞれ個別のサイドグループやソロで新作を発表しているようだ。それがどういう方向性なのかはわからないが、今度ぜひ入手して聴いてみようと思っている。その音楽は、「ゆく夏を惜しめない」僕に、また「ゆく夏を惜しむ」気分を味わわせてくれるのだろうか...身勝手な期待だけが膨らむ。



 ★ アルバム写真は、Amazonサイトにリンクしています


にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ

ブルーに生まれついて

Posted by Jerrio on   2 comments   0 trackback

「チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない青春の匂いがする。ジャズ・シーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど、「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が、ほかにいるだろうか?  ベイカーの作り出す音楽には、この人の音色とフレーズでなくては伝えることのできない胸の疼きがあり、心象風景があった。」

和田誠がジャズ・ミュージシャンの肖像を描き、村上春樹が愛情に満ちたエッセイと共に、自ら所蔵している愛聴盤LPを紹介したジャズ・ブック「ポートレイト・イン・ジャズ」は、冒頭の書き出しで始まる。単行本だと2巻構成、それぞれ26人ずつのジャズ・ミュージシャンをとりあげているのだが、文庫になる際に3人加えられ、一巻のみで合計55人を取り上げたイラスト・エッセイ集となった。その最初に描かれたミュージシャンがチェット・ベイカーであり、やはり気になるミュージシャンの筆頭だったのかもしれない。

4101001537
ポートレイト・イン・ジャズ (新潮文庫) / 和田誠・村上春樹

「青春の匂い」と言われると、確かに若い頃のチェット・ベイカーはそういう感じだったかな、と思ってしまう。まっすぐで溌剌としたトランペットと、ソフトで中性的なささやくようなボーカルは、不思議にマッチしていた。もちろんその頃のチェット・ベイカーも好きだが、70年代半ば以降の、老成し、より憂いを増したチェットも、独特の味があって捨てがたい。それはまるで、モノクロームの「青春の記憶」を慈しむような音楽とも言えるだろうか。思えば、「青春」には「胸の疼き」がつきものであり、その言葉そのものにも、うっすら憂いを含んでいる感触がある。


このチェット・ベイカーを題材にした伝記映画「ブルーに生まれついて」が公開されると知り、11月最終の土曜日、封切りに合わせて観に行った。例によって関西では2館上映のみというマイナー感だが、梅田スカイビル・タワーイーストにあるシネ・リーブル梅田の100席ほどの館内は、初日にも関わらず観客は4割程度だった。

チェット・ベイカーの映画と言えば、1987年に製作されたドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」が思い出される。以前このブログでも触れたことがあるが、僕もジャズを聴き始めて数年目、チェット・ベイカーのアルバムもいくらか聴いていた頃で、当時毎月読んでいたスイング・ジャーナルで、その撮影はそれなりに話題になっていたと思う。その年には日本公演も重なって、年齢以上にくたびれた風貌のチェットの姿は、頻繁に誌面を賑わわせていた。チェットはその翌年、滞在中のアムステルダムのホテルの窓から転落死するのだが、直後に日本でも公開されたこの映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー部門にもノミネートされた。

今思えば不思議なのだが、僕はこの映画を観ていない。ここまで条件が揃えば、何が何でも封切を観ていてもおかしくないんだけれど・・・。後年、サウンドトラックのCDは入手したものの、DVDは輸入盤のPAL方式のものしか出ておらず、通常のプレイヤーでは再生できないようで、いまだに観ることができていない。

映画「レッツ・ゲット・ロスト」は、最後までドラッグへの依存を断ち切ることができず、多くの問題を抱えながら生きてきた悪名高きジャンキー、チェット・ベイカーの人生を、本人も含め、彼に関わったたくさんの人達へのインタビューと音楽で紡いだもののようだ。「ブルーに生まれついて」で主役のチェットを演じているイーサン・ホークは、このドキュメンタリー映画を観てチェットのことを大好きになり、その音楽もまた深く愛するようになったと言う。俳優の道に進んでからも、チェットのことを色々調べる中で、いつしかチェット・ベイカーを演じてみたいと思うようになっていた。それがようやく叶ったのだ。同じく、「ブルーに生まれついて」の監督であるロバート・バドローもまた、長年チェット・ベイカーにこだわってきた。映画学校時代にはチェットのエピソードをモチーフにした短編映画「Dream Recording」を、2009年にはチェットの転落死の謎に迫った短編映画「チェット・ベイカーの死」も製作している。そういう背景の中で、チェットに取り憑かれた二人が出会い、今回の映画にたどり着いたという。

映画「ブルーに生まれついて」は、チェットの生涯を描いたものではなく、60年代末から70年代初頭の、彼が最も苦しかった一時期だけを描いた物語である。麻薬に溺れ、演奏で滞在中のイタリアで捕まったチェットは、保釈中に自伝映画に出演する。そこで、別れた妻エレイン役を演じていた駆け出しの女優ジェーンに魅かれ始める。ジェーンは噂に聞く問題児のチェットを警戒しながらも二人は恋に落ちていく。その後チェットは、麻薬がらみの揉め事で襲われ、前歯を失ってまともな演奏ができなくなる。このトランペッターとしては致命的な状況で、借金もかさみ仕事仲間からも見放され、どん底の状態のチェットに、ジェーンは寄り添い、少しずつ回復していく彼を支える。二人三脚の努力で再起したチェットは、ディジー・ガレスピーの後押しもあり、再びチャンスを得て、バードランドの舞台に立つ。



この映画は、どん底のチェット・ベイカーが再起に至るまでのラブ・ストーリーなのだが、実はチェットを支えたはずのジェーンは実在しない。これは監督であるロバート・バドローが、実際は契約で揉めて撮影に至らなかった自伝映画が、実は撮影されていたという想定から作り上げたフィクションなのだ。しかし、自伝映画が撮影されていたこととジェーンの存在以外は、ほぼ事実に沿っている。

そこに描かれているチェット・ベイカーは、人間的な弱さを随所にさらけ出してはいるものの、懸命に生きようとしている。ちょっと小心者で、常に不安で、ある意味素直な憎めないやつだ。ロマンティックで愛すべきチェットが、とても人間臭いチェットがそこにはいる。監督のロバート・バドローも主演のイーサン・ホークも、これまでの書物や映画で描かれてきたチェットの虚像を壊したかったのだろう。死ぬまで麻薬と縁を切れなかった、どうしようもないダメ人間としか映らなかった虚像を、彼ら自身がチェットの周辺にいた人達と接して感じた方向に修正するために、フィクションという手法で、真のチェットの姿を描きたかったのだと思う。


映画の非常に重要なシーンで、主演のイーサン・ホークは実際に2曲フルで歌っている。俳優であるイーサン・ホークにとって、それは大きな挑戦だったに違いないが、長い間、チェット・ベイカーを演じる準備をしていたと言うだけあって、さすがだった。

一曲目はチェット・ベイカーの代表曲とも言えるスタンダード・ナンバー、「マイ・ファニー・バレンタイン」だ。この曲はチェット・ベイカー自身、最もお気に入りだったのではないだろうか。生涯を通じて、様々な演奏と歌が残されている。以前にも紹介した1954年の大ヒットアルバム『Chet Baker Sings』に入っているものもいいが、やはり僕は多少問題はあっても晩年の東京公演(1987年)の演奏あたりでのにじみ出る滋味の方に軍配を挙げてしまう。あるいはそれは、僕自身がそういう年齢に近づいてきたからなのかもしれないが・・・

  Link:  My Funny Valentine / Chet Baker in Tokyo (1987)

B015JT52GS
イン・トーキョー~愛蔵版~ / チェット・ベイカー

二曲目は同じく『Chet Baker Sings』にもあった曲、「I’ve never been in love before」で、実は僕自身、チェットが歌う中で最も好きなナンバーだ。この切なく響くロマンティックなラブソングには、確かに村上春樹の言うところの「青春」をストレートに感じさせるものがある。

  Link:  I've never been in love before / Chet Baker (1954)

B004WJRJPO
The Complete Chet Baker Sings Sessions / Chet Baker

その2曲に比べ、この映画のタイトルにもなっている「Born to be blue」は、チェット・ベイカーの演奏や歌では、あまり馴染みが無い。アルバムとしては1964年にリリースされた『Baby breeze』に入ってはいるが、目立たない。僕も映画を観るまで、チェットの演奏は知らなかった。歌手のメル・トーメがロバート・ウェルズと共作したこの曲で頭に浮かぶのは、圧倒的にヘレン・メリルの歌にクリフォード・ブラウンのトランペットが重なる名演である。(アルバム『Helen Merrill (with Clifford Brown)』に収録)

  Link:  Born to Be Blue / Chet Baker

B01LW0BKU7
ベイビー・ブリーズ+5 / チェット・ベイカー

  Link:  Born to Be Blue / Helen Merrill

B0000046ND
helen merrill / Helen Merrill


実は、最初に紹介したジャズ・ブックの姉妹本とも言える村上春樹と和田誠の共著に、「村上ソングズ」というソング・ブックがある。ジャズ、スタンダード、ロックの名曲を29曲選び、その訳詞とエッセイにイラストと名演のCDジャケットを添えた本で、その中の一曲に、偶然にも「Born to be blue(ブルーに生まれついて)」が選ばれているのだ。

4120038963
村上ソングズ / 村上春樹・和田誠

その歌詞を深く読めば、この映画のタイトルにこの曲を選んだ理由がわかってくる。それはまさにチェットの心情を歌っているような内容であり、そういえばチェット自身もBlueを自らのテーマカラーと認識していたのではないかと思えてくる。

英語の「Blue」は、日本人が思う「青」の感覚と違い、「憂い」の感情を多分に含んでいるのだろう。今や「ブルーな気分」と言えば、日本人でも「憂鬱なんやな」とわかる。日本語の「青」には、「未熟」の色合いが強く、「憂鬱」な感じは薄い。この文章の冒頭の「青春」という言葉だって、誰が最初に考えたのかは知らないが、「未熟」さを表しているのだろう。もちろん、「青春」だからと言って「blue spring」なんて訳しても全く伝わらない。youthでいいのだ。

そういえば、チェットは晩年、ライブで「Almost Blue」という曲を定番のように歌っていた。先に紹介したドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」のサントラ盤では、アルバムの最後を飾っている曲だが、これは1982年にエルヴィス・コストロがチェットの歌う「The thrill is gone」に触発されて書いたという。その歌詞は、まさにBlue。チェット・ベイカーのイメージを歌ったような内容だ。この曲をチェットも気に入り、ジャンルは違うが、ライブや録音でもエルヴィス・コストロとは交流があったようだ。

  Link:  Almost blue / Chet Baker

B00L9EL6IQ
レッツ・ゲット・ロスト〜オリジナル・サウンドトラック / チェット・ベイカー


こう書いて行けば、とことんブルーな気分になる映画のように感じるかもしれないが、そんなことは無い。決してハッピーには終わらないが、それでもなんだか気分は優しくなっていた。

上映館を探しているときに、ネットでたまたま見たこの映画の評点はあまり芳しくなくて、観にいくのを躊躇してしまうほどだったが、僕にとってはとてもいい映画だった。映画が終わって、梅田スカイビル周辺で行われている、夜のクリスマスマーケットに繰り出し、ホットワイン(グリューワイン)とソーセージで体を温めたが、その時感じたホカホカした余韻は、決してワインのせいだけではなかったんじゃないかな。

20161218-1

IMG_1482.jpg



<おまけ1>

エルヴィス・コステロの「Almost Blue」もぜひ。

  Link:  Almost blue / Elvis Costello

B000OHZJLO
Almost Blue / Elvis Costello


そうそう、そういえばエルヴィス・コステロの奥様である、ダイアナ・クラールもこの曲、歌ってました。そちらもぜひ。

  Link:  Almost Blue / Diana Krall

B0001N9ZGG
The Girl in the Other Room / Diana Krall


<おまけ2>

本文でも出てきた、1988年公開のドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」の予告編です。海外版ですが、こちらもぜひ!

  Link:  Let's Get Lost - Trailer



にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ

人生は夢だらけ

Posted by Jerrio on   2 comments   0 trackback

前回に引き続き、またもやCMから。こういう話題が続くと、ひょっとしてテレビばかり見ているの? なんて思われそうだが、日頃は毎週録画している何本かの番組をスキップしながら見る程度で、リアルタイムで見ることはあまりない。さらにはNHKのものが多いのでCMに遭遇する機会も少ないはずだが、そういう中でも時々気になるCMが現れたりするのだからおもしろい。

そのCMの場合、まずは音楽だった。ほんのわずかな時間流れるミュージカル仕立ての音楽は劇的だ。僕は、一瞬にして人を惹きつける魔法のような音楽に心を奪われていた。画面を見ると、あの「とと姉ちゃん」が宙吊りで歌っている。ピーターパンはとっくに卒業したはずなのに「餅は餅屋」だな。そんなことを思いながら見ていたのだが、ひとつだけ注文をつけるなら、最後のところはそんな優等生的な歌い方じゃなくて、椎名林檎風に少しだけエキセントリックに盛り上げても面白かったのに、なんて思ってしまった。恐らくその音楽から椎名林檎のイメージが浮かび上がってきたからだろう。

Link:  人生は夢だらけ 「つぎは、何くる?」篇 30秒
Link:  人生は夢だらけ 「それは人生、わたしの人生」篇 90秒

それは、「人生は夢だらけ」という、なかなか奥行きのあるタイトルの「かんぽ生命」のCMだったのだが、それから何度か遭遇するうちに、一体誰の曲だろうと思い始める。そうは思っても、そのうち忘れてしまうのは昔の話。今やネット時代で、ちょちょっとググれば、たちまちわかってしまうのだ。

はたしてその音楽は、椎名林檎の書き下ろしだった。このCMの製作発表時の高畑充希のインタビュー映像では、椎名林檎から送られてきたデモテープを聞いて、その素晴らしさに「何も私が歌わなくても・・・」と思ったと、控えめに語っていた。

いつしか、こういうミュージカル仕立ての音楽に「椎名林檎」を感じても違和感が無いくらい、多彩さが表面化していることに今さらながら驚く。様々なメディアに登場しても、今や貫禄さえ漂っていて、時の流れを感じて感慨深い。


思えば、椎名林檎はデビュー当時から少し特別だった。デビューアルバムの『無罪モラトリアム』が発売されたのは1999年。確か宇多田ヒカルのデビューと重なり、その圧倒的な話題性と爆発的ヒットには及ばなかったが、いわゆるバンドサウンドにこだわっている点では方向性が違っていたし、まったく別種のセンセーショナルな感じを漂わせながら、演出した「あばずれ感」を客観的に見ているような冷めた雰囲気もあって、それがアルバムにも表れていた。僕自身は、その中の一曲、「丸の内サディスティック」のカッコよさに無条件にやられてしまっていて、そのアルバムの表面にうっすら透けて見える熱いものと、その裏側に見え隠れする多面的な才能をしっかりと感じていた。

B00000JD1I
無罪モラトリアム / 椎名林檎

  Link:  丸の内サディスティック / 椎名林檎

デビュー10周年の2009年にリリースされた通算4枚目のオリジナルアルバム『三文ゴシップ』にも、「丸の内サディスティック」の英語版が、EXPOバージョンとして再録されている。びっくりしたのは、ジャケットの裏面には13曲の曲名しか書かれておらず、14曲目に入っている「丸の内~」は記載されていなかったことだ。初めて聴いた時、最後の曲が終わった、と思った瞬間、突然ハープの音が流れ始め、いきなりア・カペラ伴奏の「丸の内~」が始まって思わず身震いしたものだ。今につながるマルチな方向性が定着した中でも、この曲はこだわりのある曲なんだと、少しうれしくなった。

B0026I1ILO
三文ゴシップ / 椎名林檎

  Link:  丸ノ内サディスティック live english ver. / 椎名林檎
    (EXPOバージョンはありませんでしたので、ライブの英語バージョンで)

この曲も、聞きようによれば、「人生は夢だらけ」に通じる絶頂感がある。その部分につながるカッコよさこそ、椎名林檎的だと感じてしまうんだけど……そういえばもっと直接的に連想させる曲があったことを思い出した。その曲は、東京事変名義で出した「女の子は誰でも」で、東京事変のアルバム『大発見』に収録されている。

しかもこのミュージカル仕立ての曲は、資生堂のコマーシャルで使われていたのだった。この辺りが、繋がった理由だったのだろう。

  Link:  女の子は誰でも / 東京事変

B004ZVXTAI
大発見 / 東京事変


さて、椎名林檎と言えば、僕自身は頭の中に、彼女の「顔」のイメージが定着しなくて、なんだか不思議な人だという印象をずっと持っていた。プロモーションなどを見るたびに違った印象を受けて、どれが本当の椎名林檎なのかわからない。時々そういう印象の人に実際に出くわすこともあるのだが、この人の場合、それが音楽とも結びついて、より一層神秘的な感じを持っていた。

そんなよくわからない印象が一気に晴れてしっかり定着したのは、NHK・Eテレの「Switchインタビュー 達人達」での椎名林檎と作家・西加奈子の対談を見てからだった。これは、番組のテーマ曲を歌っている椎名林檎が「一生に一度はお目にかかりたい人」ということで希望し、まだ直木賞をとる前の西加奈子との対談を実現したものだが、西加奈子もまた、椎名林檎のライブにも行ったことがある、同世代のファンだったのだ。

実は録画していた当日、半分くらい放送したところで地震が発生したため、途中から緊急放送が入り、後半部分が録画されていなくて悔しい思いをした。ところがその放送からしばらくして、対談でも紹介されていた小説「サラバ」で、西加奈子が直木賞を受賞し、受賞記念のアンコール放送として、ようやく待ち焦がれていた全編を見ることができたのだ。この対談はとにかく面白かった。この二人にかぶせられていた覆いが、ぼろぼろと剥がれていくような、爽快な対談だった。

その中で二人は、かなり正直に様々な創作の秘密や、その心情に踏み込んでいる。もちろんカメラが回っている範囲のことなので限界はあるのだろうけど、僕自身は、椎名林檎やその音楽にこれまで感じていた疑問を次々に解き明かしてくれるような受け答えに、正直感激していた。たとえば、日本語に曲を付けるとカクカクした音楽になってポップスっぽくないので、すべて英語の仮詞を付けて作曲し、後でその曲に日本語を当てはめていくという話もあって、なるほどね、と思った。

恐らくデビュー周辺のことなど、一般に語られていることとはかなり違った話もあり、もう時効なのかな、なんてことも思ったし、好きな音楽ジャンルと今の音楽の違いや、それを仕事としてとらえている現状など、とても現実的な話も出てきた。一方で、椎名林檎が創作に行き詰った自分と重ね、号泣しながら読んだという西加奈子の短編「空を待つ」の話では、その真摯な姿勢も垣間見えたりして、興味深かった。この短編は、短編集『炎上する君』に収録されている。

4041005671
炎上する君 (角川文庫) / 西 加奈子

とことん裏方気質で仕事に対する完璧主義を求める少し冷めた印象の椎名林檎に対して、深い洞察の中にも常に希望をもって夢を追っている西加奈子はちょっと心配になったのだろう。対談の最後に椎名林檎に向かって、「夢は何ですか?」と尋ねる。その問いに椎名林檎は、「大人の遊び場を作ること。」と熱く答え、西加奈子は「夢があってよかった」、と笑顔で漏らす。その笑顔に、視聴者は共に安堵感を得ただろう。そして、二人の夢の実現を見てみたいと思ったのではないだろうか。


最初に戻れば、「人生は夢だらけ」というのは、なかなかいいコピーだと思う。夢の大小を問わず、夢を意識してがんばっている人は輝いている。何よりも、その思いや姿は、周りを元気にしてくれる。自分もがんばらなきゃ、そう思わせてくれる。

「夢は何ですか?」なんて、この年になればほとんど聞かれることもなくなった。でも、夢の大きさは現実的になってきたとはいえ、適切なスパンでの夢は常にあるものだ。ともすれば、「夢」という言葉とは結びつけられないささやかなことでも、ひとたび「夢」のタグをつければ、行動が変わってくることもあるだろう。そういう気持ちを忘れないように、小さな夢探しでもしてみようかな、そんなことも思っている。



<おまけ1>

対談の映像がありましたので、ご紹介まで。Youtubeではありません。

  Link:  Switchインタビュー 達人達 「椎名林檎×西加奈子」


<おまけ2>

今やCMでも引っ張りだこの高畑充希ですが、初CMがすごかった。CHOYAのウメッシュのCMでしたが、これも紹介しておきます。これ、いいです。CM女王の道、まっしぐらですね。しかも誰でもできるわけじゃないところもすごい。

  Link:  高畑充希が歌う CHOYA ウメッシュ CM


<追記>

対談の中でも紹介された、西加奈子の直木賞受賞作品 「サラバ」も、ぜひ。

409386392X
サラバ! 上 / 西 加奈子

4093863938
サラバ! 下 / 西 加奈子



にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ

Autumn

Posted by Jerrio on   0 comments   0 trackback

そのCMは美しい。純日本的な背景の中、姿勢にも所作にも日本を体現する金髪の女性。たどたどしい日本語は彼女が外国人であることを明らかにする。だからこそ、より一層引き立つ日本の美がそこにはある。

思わず見惚れてしまう映像には、おかしがたい気品が漂う。その印象は静寂そのものだが、音が鳴っていないわけではない。いや、むしろそこに流れる音楽は、映像をしっかり縁どり、その風情を演出している。

  Link:  JT CM 日本のひととき 「茶道篇」
  Link:  JT CM 日本のひととき 「和食篇」
  Link:  JT CM 日本のひととき 「折り鶴篇」
  Link:  JT CM 日本のひととき 「水引篇」
  Link:  JT CM 日本のひととき 「和歌篇」

「日本のひととき」と題される一連のJTのCMは、「茶道篇」「和食篇」「折り鶴篇」「水引篇」「和歌篇」と、これまでに5篇出ている。あまりテレビを見なくなった僕でも全篇見たことがあるのは、金曜日の夜に放送されているJTの提供番組、「アナザースカイ」が結構好きで、時々見ているからだろう。


初めてそのCMに遭遇したとき、「この曲、知っている」と思った。アレンジは違うのだろうけど、基本4小節のシンプルな音形を繰り返すその旋律を、僕はかつて何度も聞いたことがある。ただ、何の曲だったのかは思い出せない、というか、思い出したいという気持ちが残らないほど、その音楽は映像と一体となり、完結していた。

人声を中心に様々な楽器音が混じる、各篇趣向を凝らした音楽は、それだけでも興味が尽きない絶品だが、決して出しゃばることはない。しかし、何度目かの遭遇の直後に、不意に頭の中にその旋律を奏でるもうひとつのピアノソロが鳴り始めた。そして思い出したのだ。かつてこの曲は、同じようにCMに使われ、鮮烈な印象を振り撒いていた。

  Link:  トヨタ 新クレスタ CM(狼編) (1984年)

僕はそのCMに触発され、この曲の入ったアルバムを早々に購入したはずだ。その曲はジョージ・ウィンストンの「Longing/Love (あこがれ/愛)」。アルバムはウィンダムヒル・レコードから発売された、「Autumn」である。

  Link:  Longing /Love / George Winston


B000000NEZ
Autumn / George Winston

恐らく購入したのは1984年、85年頃だろう。84年は僕が社会人になった年で、その年末か年明けに、まだ一台10万円は下らなかったCDプレーヤーを購入した。再生機の価格が、ようやく手の届く範囲に入ってはきたものの、まだまだ高価だったため、コンパクトディスクそのものは普及期には至っていなかった。その時買った最初期のCDの中に、このアルバムは入っていた。

「Autumn」は、米国では1980年に発売されている。既にソロピアニストとしてデビューしていたジョージ・ウィンストンが、自然主義の趣の強いインディペンデント・レーベル 《ウィンダムヒル》 と契約を結び、初めてリリースしたものだ。本国でこのアルバムは予想外にヒットし、彼はそれを受けて北カリフォルニアの季節をテーマにした「四季4部構成」を明らかにする。その後約10年をかけて、「Winter Into Spring」、「December」、「Summer」と、4部作を完結させることになるのだが、日本で「Autumn」がリリースされたのは本国から4年遅れ。まさに前述のトヨタのCMに合わせたリリースであり、鮮烈な印象と共に大ヒットしたのだった。

透明感あふれるピアノの音で表現される音楽は、四季のスケッチとはいえ、その音の置き方や、テンポの取り方、空白の余韻に詩情が満ちていて、単純な情景描写とは言いがたい。冒頭を飾る曲、「Colors/Dance」は、格好のショーケースとして、このアルバムでジョージ・ウィンストンが表現したい音楽の方向性を全て物語っているように感じる。その透明で直線的なピアノサウンドは、北カリフォルニアの澄んだ空気を思わせる。そして、次々に現れ繰り返される親しみやすいテーマは、彼が自然に寄せる清新な思いとその深さを感じさせてくれるのだ。

  Link:  Colors/Dance / George Winston

CMで流れていた曲、「Longing/Love」も含め、最初の3曲は恐らくLP盤のA面に当たるのだろう。その3曲をSeptember(9月)と分類し、後半の4曲(LP盤のB面)をOctober(10月)としている。その後半の中で一曲挙げるとすれば、5曲目の「Moon」だろうか。

  Link:  Moon / George Winston

メロディアスな旋律が、次々に現れては次に受け渡される。日本人の感性に合うメロディーラインは、このアルバムが日本でも爆発的に売れたことを納得させる。静かな空間に広がる音楽は、30年以上たった今でも、当時感じた新鮮な響きを失っていない。


今でこそ「ウィンダムヒル・レコード」と言えば、音楽ジャンルは「ニューエイジ」に属するレーベルだが、当時はそういうジャンル分けは存在しなかった(グラミー賞にニューエイジ部門が創設されたのは1986年のことである)。ビルボードのアルバムチャートでもジャズのジャンルで括られていて、日本で「Autumn」が発売されたころ、本国では3作目の「December」が既にリリースされ、ビルボードのジャズ・アルバム・チャートで3位に入っていた。

恐らく僕もジャズのレコードの認識で買ったはずだ。その頃ジャズに目覚め始めていた僕は、モダンジャズの名盤といわれるアルバムを、少しずつ聴き始めていた。覚えているのは、その時レコードショップのジャズコーナーで同時に買ったCDが、ビル・エバンスとジム・ホールのデュオアルバム「アンダーカレント」であり、その当時の僕は、「ジャズはかくあるべし」と言わんばかりの変幻自在の演奏の魅力に取り込まれていた。かくして、CMでの音楽が気になって購入したはずの「Autumn」は、そのピュアな和音構成とかっちりした演奏がいつしか物足りなくなり、あまり聴かなくなっていったのだった。当時僕の意識の中には、「シンプル=単純」という方程式があったのだろう。ジャズの棚に並んでいながら、即興的な部分も感じられず、コード音もシンプルなこの音楽を、少し低く見ていたのかもしれない。

30年近い時を経て、今そうした意識は全くない。いやむしろ、シンプルでありながら心に響く音楽にこそ、研ぎ澄まされた魅力を感じるし、それこそが自分が最後に求めるものという感覚がある。ジャンルや演奏に関係なく心に響くもの、それを拾い集める旅はまだ終わらせるべきではないのだろう。過ぎ去った時間との思いがけない邂逅にさえ、新しい気づきがあるのだから。


もう9月も下旬。あのCMは、その映像にふさわしい季節を迎える。もちろん、その音楽にふさわしい季節とも言えるのだろう。恐らく京都であろうその映像のロケ地でも探索してみようか。台風が近づきつつある休日、そんなことをつぶやきながら、頭の中で秋の音楽を反芻しているのだった。


にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ